表記について

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10

巫女王の待つ広間の入り口。
先ずは礼を正すべく、姫は立ち止まり一呼吸整える。
そして間口へと足を滑らせるようにゆるりと踏み込み、玉座の方へ向かって恭しく、それでいてふわりと優雅に一礼する。
「ーー母様。失礼します」
それから御簾の向こうに映る影に視線を合わせるように、ゆっくりと顔を上げる。
「アヤにございます」
決して大きくはない、けれど良く通る涼やかな声で姫は名乗りを挙げた。
「参ったか。……近う」
「…はい」
呼び掛けに微笑みを浮かべ肯きながら……、つと、視線をその手前へとさり気なく移す。
そうすると、其処にいる人物と自然と目が合う。
その瞬間に返される柔らかな微笑に、姫の頬が微かに綻ぶ。
そしてどこか照れたように目を泳がせる様を、静かにただ隣で控え続けるシキは知ってか知らずか。
「ーー姫様」
そっと小声で促す。
その声にはたと背筋を伸ばし……やはり滑らかに玉座の前へと進み出る。
イオリ、姫、シキーー。
一瞬、居並び会釈を交し合う三人の視線がーー其々の思い思いの方向へと交錯する。
それは刺々しいものではなく、どこか以前とはまた違う割り切れたような複雑さを秘めていた。
少し高い位置にある玉座から見下ろす巫女王には、それがどう映ったのかは分からないがーー。
「ーーアヤ。明日の儀式には…どうか充分に備えておきなされ」
姫に労りの声を掛ける巫女王の口調には…。
王たる厳かな空気感を保ちつつも、やんわりと見守る母の表情の揺らぎの気配も漂う。
「……はい、母様」
姫も目尻を下げ、やんわりと微笑み答える。
姫がこの数日の間にーーと云う経緯は、巫女王は知らぬにしても。
意識せずとも醸し出している、自身の中に持つ確かな「幸せ」からの柔らかなはにかみの表情を見て取ったからだろうか。
ーー女王と姫、と言うよりは。
二人の"母娘"が交わすほんのり暖かな遣り取りを、イオリとシキもただ穏やかに見守る。

御簾越しにではありながら、姫と巫女王は少しの間見つめ合っていたが…。
やがて、巫女王の手に握られた扇が滑らかな手つきで開かれ、口元へと当てられ。
小さな鈴の音がしゃら、と澄んだ音を立てた。
「ーーさて…。其方らを喚んだのは他でもない」
和やかな想いを胸に秘めつつも、巫女王は粛々とした声音で切り出した。
その声に応じるように、三人も揃って一度軽く頭を下げ一様に視線を向ける。
その場の空気が厳粛なものに変わりーー三人と巫女王との間に流れる緊迫感も、ただ謁見に臨む者達と王との対面の場のものに変わる。
「シキ、イオリ。明日の儀式ではーー二人共しかと頼みまするぞ」

一拍置いて、イオリとシキが深く頭を下げ、はい、と各々に返答する。
その様子に二人を見渡し満足気に頷く御簾越しの影に、姫もひとまず視線を落とし頭を僅かに下げた。
ーー明日の儀式は、何より自分の為に催してくれるものなのだ。
皆の心遣いが有難く、そして恐縮にも感じ、自然と礼の意を表したくなるのだろう。
……と、また僅かに緊迫感が増し…。
「……ときに、イオリ」
名指しで呼ばれ、イオリの背が改めてすっと伸びた。
「はっ…!」
両手をぴたりと腿の横で揃え、腰を曲げーーそのまま次の辞を待つ。
「ーー偶の時、の事であるが……。解しておるな?」
その言葉に、ぴくりと反応したのはーーきっとイオリ自身だけではないだろう。
シキは静かに目を閉じ聞き入り、姫は……訝しげな視線を交互に向ける。
そしてイオリ自身は、その場に片膝を付き手を胸に当てーー最も遜った姿勢を取り深々と頭を下げた。
「ーー御意。全ては此の国と……」
ちらと、隣へ視線が流れる。
「そして……」
ーーその目に映る、大切なものへの心を込めて。
「姫様、巫女王様の為に」
はっきりと、それでいて囁くように優しく告げられた言葉は。
姫の胸に暖かくも、どこか哀しげに響いた。
そもそも訳が分からず、言いようのない不安が押し寄せ、どう言葉を返していいか分からずただ見守る姫はーー。
「……ありがとう……」
けれどそれでも、不安からの動揺の気持ちを抱いたまま表向きの礼を述べた。
シキの眉間に僅かな皺が寄るも、今此処で直接の指示がなければ彼には改めて姫に説明をする権限もない。
本当は、教養の時間にそれを説いていても良かったのだ。
敢えてそれをしなかったのはーー彼が姫の気持ちを配慮しての優しさか、それとも甘さか。
もしかすると、巫女王は……姫にとって既知の事実で、そこからの返答だと思っているかも知れない。
全ては、ただ儀式が何事もなく厳粛なうちに終えられるようーーただ胸中で祈るのみ。
シキは密かに拳を握りながら細い息を吐き、隣に居る狼狽を隠せぬ姫の横顔へと視線を流し……その頬が涙に暮れぬようにと願いを込めるのだった。

ーーもう……誰も失いたくない。
いざとなれば自分も……。
そう、密かに決意を胸に刻みながら。

やがて、"謁見"が終わり部屋を出る三人はーー。
またしても其々の想いを胸に、足取りの違う歩を部屋の外へと進ませる。

そして一礼を残しその場を去ろうとするイオリを、困惑の表情を浮かべた姫が足早に追うのをーー。
シキはただ静かに見送り、そして何を口挟む事無くその場を後にする。
それが自然だと、予てから解っているかのように。

そしてもう一度……何気なく胸に手を当て、ただ願う。
姫の幸せが、どうかこのまま壊れぬようにと……。
その想いは、彼自身のこれまで歩いてきた生が抱かせるものなのかもしれない。

ーー今は、かつてとは違う新たな道を歩んでいても。
竜に関わる者としての消えない刻印をその胸に持つ、彼であるからこそ故に。

大切なものを守りたいという気持ち。
そして、その傍で生きたいと願う想い。
それが、運命を別つ事象を喚ぶ結果に結びつくのだとは……。
此の時、彼自身にはーーまさか知り得る筈もなかった。
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