表記について

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1

初めは”点”のようであったそれは、けれど彼の眼にはしかと捉えられていた。
それは、彼自身の内からどうしても離れない記憶がそうさせているのかも知れないが。

大きな躯に纏う、燃え滾る炎を思わせるような陽を受け煌めく真っ赤な鱗。
辺りの石壁すらも崩す力を見せる、力強く羽ばたく大きな翼。
宝石のように美しくも、畏怖を感じる鋭い輝きを湛えた金色の双眼。
シキの脳裏に、それは寸分も違う事なく焼き付いている。
ーーかつて魔法騎士であった時代の彼が目にした時と、全く同じ姿で。
その赤竜は悠然と、それでいてゆったりと優雅な動きにすら見えるしなやかな羽ばたきと共に向かい来る。
しかしそう見えるだけで、竜の飛翔速度は実はとても速い。
じきにその姿が大きく、どの人々の目にもはっきり映る程に見え始めたとき‥‥。

「ーーいけません!お下がりください!」
その時になってやっと我に返ったように、シキが声を挙げた。
「‥‥え?」
踊り場の舳先に佇んだままで同じく目を奪われていた姫が、短い呟きと共に振り返る。

ーーその瞬間、辺りの時が止まって見えた。
ごう、と更に強い突風が吹き、反射的に皆が顔を手で覆う。
「————!」
「‥‥くっ‥!」
意識が一瞬遅れて、止むことなく吹き続ける風と共にばさばさと鳴る羽ばたきの音が否応無しに耳に入る。
其々が顔の前で手を翳しながら、薄目を開けて見たその先には‥‥。
低く喉を鳴らすような唸りと共に、すぐ正面の中空で羽ばたき見据える竜の姿。
大きなその躰とそこから伸びる羽は視界を全て覆い、もはや竜の姿しか目に入らない。
風を竜が起こすにつれ、どの建物よりも頑丈に造られている筈の城の石壁すらがたがたと鳴っている。
階下からのどよめきや叫び声も聞こえる。
今その中で群衆が明確にどうしているのか、とにかく皆無事なのかすらも分からない。
全員が初めて見る雄々しく猛々しい姿に釘付けになり、言葉も出ず見詰め続ける。
ーーただ一人、シキを除いては。
「‥‥何故‥此処に‥‥?!」
純粋な驚きと、そして悔しさすら感じられるような問いを、押し殺すような低い声で口にする。
‥‥と、竜はその言葉すら、漏らさずしかと聞き届けたように。
燃えるような紅い瞳を、じろりと確実に彼へと向けた。
「———!」
その視線に、彼は思った。
ーーあの時の竜が、時を経て再び現れたのではないかーー。
そして彼が、何かを口にしようとしたその瞬間。
踊り場が揺れる衝撃と、大きな音。
それからーーー。
「‥‥や‥‥!」
踊り場の一角が崩れたのだろう。
砂塵がもうもうと舞い、そしてじわりと晴れてゆく。
その中で小さな悲鳴を挙げたのは……?

「「————!!」」
その場の全員の表情が、更に固く凍り付いた。

今の衝撃は、竜が力任せに前肢を伸ばした為のものだった。
そしてその、”手の内”にはーー。
「‥姫様‥!!」
姫の身が握り込まれていた。
シキがいつに無く大きな、驚愕の声を挙げた時。
初めて目にする者には正視に堪えないであろう竜の大きな顔面を、強く見据え対峙する彼には。
ーーその声に目を細める竜が、にやりと嗤ったようにも見えた。
「…貴、様‥‥!」
歯噛みしながら低く唸るような怒り声を漏らし、刺すようにすら感じる鋭い視線をぶつけるシキの憤り様は、竜にも劣らぬ気迫を見せ。
周りに居る者一同も、その様子に‥‥混乱した状況の中で更に驚きを重ねる。
「‥‥シキ‥‥!あああっ!」
同じく其方へ目を向けていた姫も、同様に驚きーーそして間を置かず苦痛の声が挙がった。
竜が姫を握る手に、ゆっくりと力を加えたのだ。
「ひ、姫様!!」
大きな、悲痛なシキの叫び声が響く。
このままでは、姫は……⁈

ーーまさか、試しているのか?
よもや、誘っているというのか…⁈
……ふざけるな……‼︎
シキの整った顔が憤りを露わに歪む。
「ーー用があるのは私だろう!姫様を離せ‼︎ 」
竜を睨み付け叩き付ける言葉と共に、自身の持ち物である双頭の竜が模された杖へと素早く手を伸ばす。
”術師”として此の城に仕える彼は、このような公の儀式の間も杖を離さず身に着けている。
その事がまさか、此処で幸いするとは‥‥。
今度こそ迷いは許されない。
体裁や体面など、全てかなぐり捨てて。
ーー全力で挑む。

決して、後悔や自責の念に囚われず。
死の淵から此れ迄生き永らえてきた命…微塵も惜しまない。
もし此の身が死神に愛され、今も其処に居ると云うのなら。
ーー私の此の命を賭ける代わりに、どうかあの悪魔を斃す力を。

まさに鬼のような形相で歯を食いしばり、白く大きな杖を強く手に握り締め。
先ずは竜の懐へと狙いをつけて構える。
普段、常に冷静沈着で穏やかな人柄という印象を周囲に植え付けているシキ。
その彼がここまで怒りと焦りを露わし見せる事は、これまでに一度も無かった。

詠唱を始めようと一度杖を振るもーー
だがその動きが腕を上げたままピタリと止まる。
走り出そうとした彼の動きを、背後から止めた者が居た。
「シキ。下がれ」
「———?!」
此の状況の中でも落ち着き払った涼やかな声に、僅かに目を見開きながら振り返る。
巫女王の手が、シキの着物の袖を握り掴んでいた。

「其方は護り手では無い」
「‥‥!」
表情ひとつ変えない巫女王のーーその形の良い唇から紡がれる淡々とした響きが、シキの勢いを削ぐように言葉を奪う。
「‥‥しかし‥‥!」
そうこうしている間にも、苦痛に顔を歪ませた姫の呻き声が漏れ聞こえている。

竜の標的は、確実に自分だ。‥‥それなのに‥!

明確に歯向かう事はせずとも、心の中で態をつく。
その空気を読み取ったかのように、一人の人物が二人の側へと進み出て来た。
手を胸に当て、素早く跪く。
その背には、鈍い紅の輝きを湛える長い剣。
彼こそが、
ーー”護り手”ーーそう通り名を持つイオリだった。
「お任せを」
「頼む。幾ら"神"の所業とは云え……アヤを失う訳にはゆかぬ」
「‥‥はっ。命に代えても」
短い遣り取りの後、イオリは巫女王に向け一度頭を下げ礼を捧ぐと‥‥。
立ち上がりざま、竜を仰ぎ振り返った。
「アヤ様…直ぐにお助けします」
静かに口にしながら、下手に握る拳が震えている。
それは竜へのーー怒りか、畏れか。
それでも、それらの感情を露わにしないのは…彼の強さだろうか。
一見冷たくも見えるが、今迄彼は何事もそうやって凌ぎながら努力を重ねて来たのだろう。
それに、姫を名で呼んでいる。
彼にも抑えきれない程の感情が密かに渦巻き、その欠片が溢れ出たのだろう。
それからイオリは、部下の居並ぶ方へ腕だけを伸ばし指し。
「全員、巫女様方と退避。確実にお守りし安全な場所へ!」
視線を竜から外さぬまま、少々早口に指示を出した。
その後姿からは、流石兵士達の長、と云った堂々たる風格が漂う。
「ーーはっ!」
部下の兵士達が、イオリへと揃って頭を下げた。
そして足早にシキと巫女王の前へと駆け寄ると、竜から目を離さないよう二人に背を預けながら取り巻くように並ぶ。
「…くっ……」
ーー守られているのに、まるで捕えられたような気分だ。
此のような事態の最中でも、何も為せぬもどかしさを感じ得ずにいられないとは‥‥。
姫を自身の手で助けられないもどかしさに、ほんのひと時の遣り取りながら、とても長く感じる。
「シキ様」
黙って歯噛みするシキに、剣の柄に手を掛けながらーーイオリが視線を流した。
「……援護を、願えますか」
ーー緊急事態であるというのに。
思いがけない言葉を掛けられたシキには、眉を上げ、力強く引き結ばれたイオリの表情にーー柔らかな微笑みが浮かべられているように見えた気がした。
それは決して、シキに対する労りや気遣いではない。
想いを共に、戦う者同士としての気持ちを込めたもの。

「———いいでしょう。‥‥巫女様、宜しゅうございますか」
対するシキも、口の端だけを僅かに上げ応える。
袖からそっと巫女王の手が離れーー許可が下りた。

二人の「戦士」が頷き合い、揃って駆け出した。
ーーー其々の立場や”距離”は違えど‥‥想いはひとつ。
「愛する者」を共に護る為に。
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