表記について

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3

燃えるような赤、研ぎ澄まされた翠。

ーー竜と覚者ーー
運命の糸を手繰り寄せたかの如く対峙する、二対の瞳が見詰めあう空間には。
竜の双翼の羽ばたきが起こす風すら、そこには誰も立ち入れない張り詰めた緊張感となっているかのように鋭く吹き荒れている。
その中でも、竜の”表情"には余裕の笑み浮かんでいるようにも見える。
それは翼を持たぬ”人”とは違い、容易に空もを制する事の出来る王者の貫禄ーーと云った処だろうか。
けれど、対するシキとて気持ちの上では負けた訳ではない。
長く伸びた前髪を大きく揺らされながら、目にかかるそれを全くそれを気にする事無く竜を睨み続けている。
今彼が見せているその顔つきは、普段接している者達ではきっと見た事の無いくらいに鋭く厳しいものだろう。
双竜の飾りの立てられた杖を顔の前で構え、その杖先に竜の姿を当て嵌めるように捉え。
標的を狙い澄ます狩人のように細められた目に、熱い光が滾っている。

ーー此れ程迄に意識が昂るのは何時‥‥、何年ぶりか。
ただただ穏やかな日々を過ごす内ーーそれでも。

鼓動を打たない胸に、熱い想いが沸々と湧き上がる。
‥‥あの時のようには、迷わない。

羽音と石造りの建屋が軋む音以外、どちらも一言も発さない静まり返った場に、階下からの騒めきの声も届く。
‥‥もう誰も‥‥失わせたくはない。

杖を更に高く振り上げ、足を僅かに開き地を踏み締める。
‥‥姫様とイオリ殿は‥脱出出来ただろうか。

ーーこの命より大切なものが有る今、簡単に負けはしない。

杖に手を翳し念を込め始めた時、竜が大きく息を吸い込み頭を上げた。
「———!」
あれは、灼熱の炎を吐く構えだ。
シキの顔貌が僅かに歪む。
けれど直ちに平静さを戻し、手元から広がりつつあった術の蒼い光を凝縮させる。
このまま術に集中し続ければ竜の炎に晒される。
そして、その炎を防ぐ盾は今の自分には無い。
それでも、今ただ術を中断するよりは‥!

竜が鋭い牙の並ぶ口を大きく開けた。
そこから濁流のように流れ来る真っ赤な炎が、シキを呑み込む直前。
白い杖を蒼い光の渦が包み込み、杖を蒼く染め変えるのと同時に、数歩横へ大きく飛び退いた。
轟音すら立てて踊り場の床へ跳ねながら広がった炎の中、なるべく素早く身を起こし膝から立つ。
鋭い視線は逸らさず竜へ向けたまま、もう一度杖を構える。

同じくシキの姿を逃さず捉え続ける竜も、今度は素早く前肢を伸ばしーー。
「‥‥ぐあっ!」
彼の杖ごと、その身を掴んだ。
ぐっと体が強い力で締め付けられる痛み、顔を近づける竜の口から伝わる熱。
このまま握り潰されるのか‥‥、それとも喰われるのか。
ーーどうにか、脱しなければ。
歯を喰いしばり力を籠めるも、やはりびくともしない。
先程から額に滲んでいた汗が遂に水滴となって流れ始め、目に入り込んだ。
「———つっ‥」
微かに目に滲みる刺激に、目を思わず瞑った時。
体がぐんと大きく振られる感覚、そして‥。

耳に伝わるくぐもった轟音、遅れて全身に伝わる衝撃。
「ぐあああぁっ!!」
竜の手から解放はされたもののーー体ごと振り上げられ、勢いよく床に叩き付けられていた。
口の中に広がる血の味と共に、じわじわと体を走る鈍い痛み。
直ぐには手足が動かず、目も開けられず‥‥痛覚で鈍くなり震える指で、何とか杖を握り直し床に突き立てる。
杖の支えを借りて荒い息と共にゆっくりと立ち上がり、もう一度竜の立てる風に仰がれるように顔を上げてみればーーー。
またもにやりと嗤うような、目を細め口を薄っすら開いた竜の前面が目に入る。
「‥‥ふ‥‥!」
応じるように、シキもにやりと口の端を上げて嗤う。
―――その位で無ければ、面白くないか。
あの頃からすれば随分、認められたものだ。
額からも生温かな血滴が一筋、眼の淵を、頬を伝って流れ落ちた。
一度流れ始めたそれは、床面にぽたぽたと垂れ‥‥足元に染みを作ってゆく。

”此処は長く持たない”、自分はイオリにそう告げた。
今の衝撃で此処に亀裂が入っているところを見ると‥‥それはきっと、間違いではないだろう。
我々人間は、竜と違って翼で虚空に留まることは出来ない。
ならば、地に足ついていられる内に、せめて‥‥!

竜はまだ動かない。
ーー待っているのか?
竜の持つ本来の力は、まだまだこんなものではない。
ーー叶うまいと‥情けを掛けているのか?

そうだと、しても。
決して、己が力では叶わないのだとしても。
何もせずむざむざと負ける訳にはいかない。
例え無駄にでも‥‥生き永らえた命。
決して、悔いの無いように。
決して、想いは消えないのだと信じて。
例え今この身がーーどうなろうと。

強い笑みすら浮かべたまま、もう一度杖を構え直し集中を高める。
シキが先程から使おうとしている術は、氷の精の力を具現化する術。
ーー竜を”火の神”として崇める此の国では、禁忌とさえされているものだ。
この戦いの後、彼が助かったところで‥‥巫女王の目に入ったとなれば、どうなるか分からない。
それでもいい、しかし‥‥。
ただ‥‥目の前で姫様に泣かれるのだけは、困る。

そう、彼に…シキにとってはーーー。
姫の笑顔が、何より大切だった。
その身よりも、自らの命そのものよりも。

目を見開き、勢いよく杖を振り上げる。
「——覚悟‥!」
それは、竜に対して言い放ったものか、それとも‥‥。

一瞬首を引いた竜の口が、大きく開いた。


周囲を明るく照らす程の、眩い光が爆ぜ―――。
轟音と共に、その場は消滅した。
そう‥‥何も残さずに。

城の建屋が大きな音を立てて崩れ、地に降り注ぐ。
空に留まる竜が、まるで岩山をも砕き散らしたように。

そして竜は、一際大きく羽ばたき‥‥大きく吼えた。
辺り一帯に、その絶対的な存在の不滅を示すように。

降り注ぐ城の瓦礫の応酬に、人々が身を庇いながら逃げ惑おうとする中。
追い打ちをかけるように、地の底からも響くような低い音と細かな揺れが群衆の足元を掬う。
悲鳴とざわめきの中、それらは次第に大きくなり‥‥。

空すらも竜と同じ緋色に染め変わるように、轟音と共に一瞬にして真っ赤に染まった。
此の国を囲む山々のうちの、最も鋭く切り立った山ーー火山の噴火だった。


此の国の人々にとって、最も災いしたもの‥‥。
それは、予期せぬ竜の来襲でも、その後の騒動に連鎖するように起こった天変地異でも無かった。
”火の神”の怒りーーそう捉えた人心だった。

かくして、巫女王の治める誇り高き国はーー崩れて失せてゆく。
小さな島ごと、覆い尽くしてゆく真っ赤に燃え滾る濁流と共に。
未だ陽が昇る頃合いであったにも関わらず、まるで夜の闇に包まれたかのような暗い空気が島を覆い‥‥。
竜の立てる羽音と、人々の阿鼻叫喚、そして自然の為す大きな音が、破滅への鎮魂歌となり響く。
あまりその名も知られぬ‥‥どこまでも拡がる海に浮かぶ、小さな島で起こったーー。

昔、昔の‥‥けれども識る者には朧気ながらも伝えられゆく話。
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