表記について

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4

―――全てが無に帰した”地”より、飛び立つ影。
ひとつは悠々と滑空するように、燃えるような赤を空に刻み込むように大きく羽ばたいて何処かへ去ってゆく竜。

そして、もうひとつーー。
先の竜よりは、もう一回り小さな影。
けれどそれでも、しっかりと羽を拡げ‥‥赤い竜とは違った方向へと進みゆく。
その懐には、何かを大事そうに握り抱えて。
たまに陽の光を受け、きらりと輝く金の装飾。
そこから伸びた棒状の柄ーー杖だ。
それからもう一振り、鈍い紅の長刃ーーそちらは剣。

それらと共に、もうひとつ。
一際大事そうに包み抱えているもの。
緋色の衣服を身に纏ったーー黒髪の女性。
意識を失っているのか、だらりと力なく抱えられている。

「亡き国」となってしまった島国の、”竜の姫巫女”とーー”祭器”であった杖と剣。
杖の持ち主はその人、「アヤ姫」であるが‥‥、剣の持ち主の姿はない。
表情の陰りを残したまま目を閉じた蒼白な顔に残る涙の痕が、全てを物語っているようにも取れる。

ーー彼女もまた‥‥全てを失ってしまったのだ。
その、まるで亡骸とも見紛い兼ねない、かつては穏やかな空気と美貌だけを纏っていた姫君の顔を覗き込むように‥‥。
姫の身を抱え込んだ手元へと、竜の視線がちらと動く。
全身を蒼い鱗に包まれた、鶯の瞳を持つ竜。

姫の育った国であればともかく、そもそも”竜”とは破壊と混乱を齎すとされる象徴でもある。
‥‥けれど‥‥。
この蒼い竜の眼差しは、普段伝えられている説を根底から覆してしまうような、どこか暖かさすら感じる柔らかみを帯びて見えた。


まるで、大切なものを護り運んでいるようなーーとても凶暴さは感じられない穏やかな空気すら纏って。



やがて蒼い竜は、海を越え渡り新たな地へと降り立つ。
ーーいや、見知らぬ地‥でもないかも知れない。
そこは、山間に荒野が広がるのみで何も無い場所であるも‥‥。
竜が、かつて竜では無かった頃によく”識っていた”場所。

此処なら大丈夫だ、と‥‥庇い隠すように、自然と張り出した岩陰にもたれ掛からせるよう姫の身をそっと下ろす。
その体の横に、剣と杖を並べ置きーー未だ目を開けない姫をじっと見守り続ける。
どこか心配そうな表情すら見せ、涙の痕がそのまま乾き始めた姫の顔を見詰める竜の瞳は、真っ直ぐでとても深い。

ーーけれど、この姿であれば‥‥驚かれる事はあっても、哀しませる心配は無い。

そう、この蒼い竜は‥‥。



もう幾らか、時が過ぎて。
いよいよ陽が傾き、空が薄闇の影を落とし始めた頃。
「‥‥ん‥‥」
姫の目が僅かに瞬き、言葉とも嘆息ともつかない微かな声を漏らしながら瞼が開かれてゆく。
血と埃と涙に汚れてはいるが、やはりーー琥珀の大きな瞳を持つ、美しき姫。
ただ、その白い肌身に纏う緋色の衣服は。
煤に汚れ、そして‥‥。
べったりと更に赤く濃く上塗りされたように、血糊が広がり染み付いている。
血の付いた部分の、その付近を目で追ってゆくとーーいや、大して時間は掛からずに、大きな胸元の傷に行き当たる。

それは、そう。
竜に関わりし者として付けられたーー竜によって心臓を抉られ、刻まれた証であった。

「———ひっ‥?!」
目を開けるなり間近に迫っていた、蒼い竜の顔を瞳に映した姫の目が大きく見開かれた。
驚きと恐怖に反射的に背筋を反らせ、背にした岩に更に腕を伸ばし縋りつくもーー。
「‥‥え‥?」
何もしない、それどころかまるで自分を心配するかのように見詰める竜を、姫はあまり言葉も出ないまま見詰め返す。
よく見れば、竜の瞳はーー。
どこかで見たような、深く優しく‥‥懐かしい鶯色。
じっと見入るうち、その目がすっと穏やかに細められたように見えた。

ーー何故だろう?
あの赤い竜は、大切なあの人の‥‥そして皆の命を奪ってしまったのに。
そして、自らの心臓をも奪われてしまったというのに。

‥‥何故だろう‥‥?
この蒼い竜の目が、とても優しく思えるのは。
自分はその目をよく知っている、そう思えるのは‥‥。

知らずのうちに、涙すら溢れて。
姫はゆっくりと細い腕を伸ばし、直前で一度躊躇しながらも‥‥竜の鼻筋をそっと撫でた。
常人では、決して考えられない行為。
凶暴な種である筈の竜に、手を伸ばし差し出すなどと‥‥。
けれども姫の表情は、そしてうっとりと目を閉じたようにも見える竜の面立ちも、どちらも極めて穏やかだった。

「‥‥もしや、あなたは‥‥」
手を止めた姫が、思い閃いた考えを口に出しかけたとき。
竜はその場から後足で一歩下がると、恭しく礼をするように頭を下げ‥‥。
「‥‥!待って‥!」
素早く身を翻すと、何処へかも分からぬまま空へと羽ばたき飛び去った。

ーーいつか、直ぐ傍で聴いた言葉が胸に蘇る。
それが優しく胸に、頭の中に、何度も…何度でも。
反芻するように響き渡る。
切なげに空を見上げる姫の双眸からーー涙がとめどなく零れ流れ落ちていた。

「…いつまでも…見守ってるって……言ったじゃない……」
ーーそして……自分は簡単には、居なくならないと。



空に星が瞬き始め、いよいよ辺りが暗がりに包まれ始める。
その中で、背にした岩を、気になりふと振り返ってみればーー。

岩には何らかの模様が無数に刻まれており、そして不思議と柔らかい光を帯びていた。
「これは‥?」
先程の竜の顔に触れたように、そっと手を近付けてみる。
まるでそこに、縋るものを見付けたようにーー孤独から脱する暖かさを求めるように。


「―――!?」
手を翳した岩が、一際眩しく光った。
目は離せぬまま、思わず後ずさったその場所に。
ゆらりと空間を歪ませ、それを割いて出て来るように‥‥新たな影が降り立ち現れた。
「‥‥あ‥‥、ああ‥‥!」

ーーその、人影は。
「イオリ‥‥様‥?!」

身に着けている衣服こそ、簡素なものだが。
先の出来事で亡くした人に‥‥自分を庇い命を失った筈の想い人に。
そのまま出てきたかのような、瓜二つの人物が現れたのだ。
‥‥いや、あの人に違いない。
そう思っても仕方ない程に、本当によく似ていた。

ーーけれど。
「‥‥?」
その人物は、何も言わない。
「イオリさま‥?」
それどころか‥‥じっと、表情すら変えない。
姫がいよいよ怪訝に思い、眉をひそめたその時。

「‥‥それが‥私の名ですか‥?」
目の前の人物がぽつりと口にした言葉は、姫の中で僅かに芽生えた希望が絶望に変わった。
「‥‥あなた‥は‥‥」
震える唇で、言葉を出そうとするもーー声にならない。
新たな涙が流れ落ちるのを、そのひとはやはり黙って見ているだけ。

‥‥違う。
あの人なら、こんな時‥‥。
ーーやはり、彼はもう‥‥居ないのだ。

気持ちの走るまま、改めて地に手を付き泣き崩れてーー。
どのくらい、経っただろうか。
何も無い、人の気配も無い場での、長くも短くも感じられる時間。
辺りの光景と同じく、すっかり闇に閉ざされかけた心に。
それでも、じっと待っていてくれる人の気配に。
もう一度顔を上げてみれば、やはりあの人と同じ顔の人がそこに居る。
訳も分からず、それでも傍に居てくれるその存在が、この状況ではどこか有り難くも感じられて‥‥。

「‥‥ごめんなさい。あの‥‥」
「———はい、マスター」
ーーマスター、という言葉の意味からすると‥。
この人は、これからこの先‥‥自分の傍に付いていてくれるつもりなのだろうか。
かつての想い人と同じ顔を見ながらーーふと、思い出す。
”この先、何があっても‥‥私はあなたと共に”
ーーあの言葉を、彼は守ってくれたのだろうか。
だからこうして、この人が此処に居るのだろうか‥‥?

「‥‥そう‥‥。あなたは‥‥、あの人の‥」
‥‥泣き笑い。
涙が途切れぬまま、儚げな笑みを浮かべ相手を見詰める。
殆ど何も答え返してくれない、優しく抱き締めてもくれない。
「あの人では、ないのですね‥」
‥‥けれども‥‥。
また、新しく生まれ変わって、出会い直せたのではないか。

独りじゃない、これからもちゃんと傍で守ってくれる‥‥。
「‥‥よろしくお願いしますね、ええと‥‥」
「はい、マスター」
軽く上げた彼の右手に、自分の胸にあるものと同じ形の傷。
ーーやっぱり、あの人と‥繋がっている。
「‥‥ええ。‥‥では、あなたの名は‥‥」


私の目から涙がとめどなく溢れ、目の前が滲むーーー相手の顔が見えなくなる。

ーー私‥‥?

どういうこと‥?
だって、私は‥‥。
そして、彼は‥‥‥?

自分が自分でないかのような、ふわふわとしたような意識に包まれ‥‥。
目の前が、そして身の周りがすっかり闇に包まれ、そして。
その後うっすらと射し始めた光に、夢中で手を伸ばした。



‥‥わた、し‥‥。
ーーーわたしは‥‥!


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