表記について

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12

陽が高く昇るにつれ、儀式の刻限が近づき始める。

そうなるといよいよ城の門が開け放たれ、それを暗いうちから待ち兼ねていた老若男女、共に期待に目を輝かせた人々が今とばかりに雪崩れ込む。
何せ今日という日を、国中の誰もが待ち望んでいたのだから。
麗らかな好天にも恵まれた陽気も、人々の楽しみを膨らませる。

それらの人々の活気が、過度に起ち過ぎないようにと…城の兵士達が等間隔に立ち並び、声を挙げ注意喚起を促す。
その列と人々の群れを手繰って行くと、城の建屋の玄関口に突き当りーーそしてその更に上に目線を上げれば。
庭園がぐるりと見渡せる、張り出した踊り場が見える。
そこは普段、巫女王の居る広間の外側。
普段は、そこにも御簾が下ろされているというのもあるが…。
外からは内部の様子がはっきりとは見えず、内部からも高さと広さがあるからか、特に「余計」なものは見えない。
城の者でも、あまり立ち入らない者ならばその場の存在を忘れそうなその場も。
今日ばかりは、綺麗な絹布の幕が掛けられ質素ながらも美質な木で組まれた見事な祭壇が組まれーー神聖な場として飾り立てられている。
姫の姿はまだ無くとも厳かな空気の流れるその踊り場には、既に護衛の兵士達も数名、片隅に並び立ち控えて居た。

その中には勿論、兵士達の長であるイオリの姿も有った。
ーー仕事中の顔、というものだろうか。
その表情は無表情とも見える程に引き締まり、姫に見せるものとは正反対とも言えそうな固さを感じさせる。
ただその着込まれた鎧の下に、昨夜からのうちに姫が爪を立て掻いた傷が二の腕や背中に残りーー暖かな感情も胸中に灯したままなのを他の者は誰も知らない。
それでも、城として幾何か広いとはいえ、決して路に迷う程ではない城内での事。
ーーある程度……少しは、噂も立っていようが。

姫が許してくれた、そして自分だけを望み求めてくれた、二人きりの時間。
ただ不安を突き付けるような話に哀しませもしたが……。
けれどそれを塗り潰す程に、幸せを感じ合えた筈の甘美で濃密なーー自分との間だけに秘められたひととき。
か細く啼く声も、薄紅の唇も、滑らかな柔肌も、どこまでも甘くて。
欲に溺れるようについ夢中で掻き抱きーーまだまだ無垢な姫にはまた少々無理をさせてしまったかも知れない。
姫を護るべき自分が、逆にすっかり負担を掛けてしまうのは如何なものかとーー。
一体何をしているのかとーーふと客観的に見て、自分は何と馬鹿なのかと思わなくも無いが。
その上、完全に言い訳にしかならないが、どれだけ求めても足りない程にーー愛しくてたまらない。
……本当は、もっと。
美しくもあどけない寝顔を、傍で見て居たかったのだが……。
その幸せも、自身に課せられた役目が有ればこそ。
後に、此処で祈りの儀式をーー"舞"とも呼べる奉納の儀をを披露する姫を、こうして間近で見られるであろう事は。
実はイオリにとって、予てからの望みのひとつでもあった。

数年前、まだ新入りの一兵卒だった頃……、此の踊り場の下、広場の警備の列に自分も加わっていた事がある。
そしてその時も、姫の祈りの儀式は遠目にだが見ていた。
流石に姫の様子は、はっきりとは見えなかったものの……。
辺り一帯を包み込むような、その場に流れる胸が暖かくなるようなーー優しく神秘的な空気に魅せられたものだ。
その時以来、姫がどんな御方なのか、と、きっと誰しもが抱く興味はイオリ自身も意識の片隅に抱え続けていた。
……それがまさか、自分が姫の"護り手"として選ばれ……。
あのような……、先の誕生日の夜のような、直接的な出会いを果たすとは。
そして、こうもーーごく近い距離で接する事が出来るまでになるとは。
是まで自身が歩いてきた、幼少の頃からの苦難続きの道程も……。
美しく、儚く、純粋でーー可愛くて仕方無いあの方が……優しく眩しく微笑んでくれる今では。
それも決して悪いものではなかったのだと、今なら思える。
両親を早くに亡くし、引き取られた親類とは反りが合わず。
親類家族の輪から離れ、ひとりで過ごす事も多かった。
辛い事や嫌な事があれば、近くの海が見える高台で木に登り美しい景色を眺めーー寂しさを紛らわす為に草笛を吹く特技も身に付けた。
半ば居心地の悪い環境から抜け出たくて城付きの兵士となり、新たに自分らしく居られる"居場所"を求めるかのように何事にも無心に務めた。
元が恵まれた環境で育たなかった身の上だけに、人一倍の努力を欠かさなかった。
集団生活の中で様々な人との出会いや別れも経て、多分人並みには多様な経験も積んだ。
やがて磨いた実力を認められ、上に立つ地位を得、唯一の姫の"護り手"ともなれた事は……大きな進歩だったと言えるだろう。
一寸先はどうなるか分からない不安も拭えない、大きな決断が必要な事でもあった。
始めは、孤独な自分には失うものはないのだとーーそういう自棄の気持ちがどこかに有ったかもしれない。
ーーけれど、今は。
身を挺してでも、命に代えても…大切なひとを護りたい、決して短絡的ではない想いでこうして此処に立っている。
きっとこの先、自身の生涯を終えるまでの間……姫以外の者を此れ程迄に愛する事は無いだろう。
……初めて顔を合わせたあの日から、いや、きっとーーその存在を知った日から。果ての見えない先までずっと……。
もうじき姫が立つ筈の場所へ視線を流しながら、つい思い浸り…。
流石に綻びそうになる頬を、ぐっと食い縛り…感情の発露を抑えるのだった。

じっと静かにその刻を待つばかりの兵士達の元へ、やがて一人の役人が御簾を上げ顔を覗かせた。
深い翠の長衣に、一つに束ねられた長い黒髪ーーそして鶯の瞳がその場を伺うように見渡し、その後イオリの姿に目を留めた。
「ーーご苦労様です。変わりはありませんね?」
「ーーありがとうございます。…どうそご安心を」
イオリとシキ、必然的に顔を合わせた二人がーー会釈と共に儀礼的な挨拶を交わす。
当然、ではあるのだが……。
流石二人共城の役人、あくまでさらりと義理を通しその場の静寂を守る。
そんな二人の話し声よりはーー徐々に大きくなりゆく階下の群衆のざわめきの方が、他の者たちには気になるのかも知れない。
イオリの部下達は、たまに庭園の方へちらちらと視線を遣りながら、けれど表情は流石に動かさずにいる。

すっかり用意の整えられた、そして既に厳かな空気さえ守られた場の様子に。
それでは、と…シキが恭しく手を胸の前に回し、腰を折りながら頭を下げた。
「ーー姫様にお越し頂きますゆえ」
まるで姫を眼前に捉えているような、此れこそ流石と言えるシキの優雅な身のこなしに、それを受けたイオリ以下の皆もゆっくり頭を下げ応じた。
その後すぐシキが御簾の向こうへ消えると、皆改めて姿勢を正し直していよいよの刻に備える。
もうすぐ目の前で執り行われる、一世一代の儀式にーー期待と緊張感を持ち合わせながら。

姫が授かる予定である杖と双となる剣として造られた、イオリの背に納められた長剣も……。
祭器としての双翼を為すその刻を心待つように、陽の光を受け鋭い紅色に輝いていた。
それらを持つ、惹かれ愛し合うふたり自身が其々に抱く……熱い意思を表しているように。

ーー永遠を得るもの、道を切り開くもの。
美麗な形を成す二振りの杖と剣も、よくよく見抜いてゆけばとても恐ろしいとも思える意味合いの銘を持ち合わせているのだが。
ただ祭器として見れば、陽光を受け繊細に輝く芸術品として、そして神聖なものとしてのみ映る。
ふたりが共に手に取るものが、そしてそれらをその先の道が、決してただ穏やかなだけではないものとして続いてゆくのだとしても。

それでも、永久に繋がる魂は決して変わる事は無いのだとーー陽射しを受けての眩しい輝きを以て、せめて密かにけれど強く誇るように。
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