表記について

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13

微かな衣擦れの音と軽快な物音、そして話し声。
庭園から正面の建屋までの範囲では盛大に賑わっている城の奥、姫の居室では……。
両腕を水平に広げた姿勢ですくと立つ姫の間近で、侍女が手早くけれど丁寧に、身支度を整えている最中だった。

侍女はしなやかな指使いで器用に、沐浴で清めた姫の肌には触れず、ふわりと緋色の着物を身に纏わせ腰の留めを結ぶ。
その衣裳の下は、普段着込んでいる抑えた色の長袖の着衣ではなく、胸元を覆うだけの上質の胸当てのみ。
着物の下から姫の艶やかな白い肌が露出している事で、普段と同じ着物を着てはいてもより女性らしさを表しーーまるで違ったものを身に着けているような印象を受ける。
細い首元にはーー金の首当てと、密かに重ねられた二つの指輪が下がった銀の首飾り。
先日からずっと肌身離さず身に着けている、イオリからの大切な贈り物だ。
これだけは、と、やんわりとしかしはっきりと外す事を断った姫の言葉に、侍女も姫の気持ちを汲み従ったのだった。

更に肩から鎖骨、そして胸からその間の部分まで、僅かに金粉を混ぜた香油が塗られ、陽の光を受けると控えめにきらきらと輝く。
いつもは薄く紅を塗られただけの唇にも、もう少し濃く鮮やかな色が差されている。
赤い宝石の輝く額飾りも普段と変わりないが、煌めく白い肌と紅い唇にいつもより良く映えるように思われた。

一通り衣裳を着せ終わった侍女は、姫の腕を手を添えて下ろさせ、腰回りに寄った皺を撫でるように丁寧に伸ばし整えると……。
姫の傍から一旦離れ、腰掛を姫の膝裏辺りに運び、さらに正面へしずしずと腰を落としながら回り込んだ。
「ーー姫様。御髪を整えますね」
やんわりと腰掛の方へ手を差し伸べるように示し、促す。
「……ええ」
その仕草に姫も小さく頷き、静かに腰を下ろした。
再び背後へ回った侍女が、半ばうっとりと羨むように艶やかな長い黒髪を解かす。
脇に置かれた小さな台から香油を手に取り、薄く塗り込みながらこちらも器用に片側の肩口で手早く纏めてゆく。
普段と同じ髪型に仕上がりながらも、肌と同様にやはり艶やかさを増した髪は。
「ーー一段とお綺麗ですわ、姫様…」
肌の白、髪の黒、衣裳と唇の紅。
そして大きな琥珀の瞳。
身支度の整いを確かめる為に再度正面へ回り込んだ侍女が、自然とうっとり溜息を漏らした。
そこには、まさに美貌の「姫君」と呼ぶのが相応しい女性の姿が完成していた。

「そう?…ありがとう…」
流石に照れたようにはにかみながら告げる姫の、その仕草はーー化粧の力もあってか、それとも想い人を得てよりの自然と醸し出す雰囲気なのか。
あどけなさの中に、どこか妖艶さも自ずと混じり。
先に声を掛けた侍女の方が、更に赤面して言葉を失ってしまう程に美しかった。

ーーと、そこへ。
丁度良くともいえる間合いで……軽く数回、部屋の扉を叩く音が加わった。
「はい?」
いち早く、姫の代わりに侍女が返答しながら、扉へ向かう。
はじめ僅かに隙間を開け外を伺っていた侍女が、頭を下げながら改めてその扉を大きく開けた。
「ーー失礼します、姫様」
聞き慣れた穏やかな声、そして見慣れた黒髪と翠の長衣が目に入る。
訪ねて来たのは、側近であるシキだった。
「お迎えに上がりました」
恭しく頭を下げていたシキが、ゆっくりと顔を上げる。
「………。」
そして一瞬、僅かに目を瞠り言葉を失ったのはーーつい先程の侍女と同じ理由だろう。
それからもう一度、彼が黙って頭を下げたのは……。
外からの光を背に浴びながらーー小さな返事と共に、微笑みを浮かべながらも僅かに首を傾げた姫が……どこか眩しく映ったのかも知れない。

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やがて部屋を出た姫が、侍女に手を引かれ、シキに付き添われ……。
長い通路を謁見の間へと進み、そして檜舞台である踊り場へ向かう。
「ーー姫様」
そして侍女とシキが両側に立ち、軽く頭を下げながら御簾と幕を上げ、姫の通り道を作る。
瞬間、眩い光が射し入ると共に、良く晴れた青空とその下に広がる緑を望む景色と、警護の為に待機していためを兵士達がーーそしてイオリが隅に居並ぶ姿が飛び込んでくる。
そうして、互いに目が合うと…。
ふんわり微笑みながら会釈する姫に、イオリとその部下の兵士一同、流石に無表情を保てずーーほう、と溜息のような感嘆の声とともに頬を綻ばながら応じた。
普段なら何気なく、せめて言葉には出さずともやんわりと注意を促す視線を流すシキであるが。
ーー今回ばかりは彼自身にも、皆の気持ちがよく分かるのだろう。
ただ黙って、姫と共に皆と会釈を交わす。
その後姫は、つとさり気なくイオリに視線を流し…互いに笑顔を交し合う。
そんな二人の様子に、隣に居並ぶ部下達がきょとんとしたような目を向けたのも、一瞬のこと。
何事も無いような落ち着き払った、けれど穏やかな笑みを微かに浮かべたままで、姫は踊り場の舳先へと改めて歩を進める。
背筋を伸ばしゆっくりと、摺足で優雅に進む姫の後姿は、気品溢れる中にどこか既に神秘性を帯び始めている。
ーーやはり此の方は、あの憧れ続けた姫巫女様に間違いないのだ。
イオリは姫に、どこか懐かしむような、そして愛おしむような視線を送り見守りーーそっと目を閉じ僅かに頭を下げた。

場の空気が厳粛さを帯びゆくのを其々に感じ取ったのか、皆自然と畏まり、頭を下げながらそれを見送る。
踊り場の欄干の一歩手前で立ち止まった姫は、一度手を胸に当て恭しく腰を軽く折りながら儀礼の姿勢を取った。

眼下に広がる庭園に集った群衆、整然と並ぶ兵士の列。
背後に控えるイオリと兵士達、そしてシキと侍女。
その場に居る者全て、姫の表情ははっきりと分からない。
けれど、姫の醸す柔らかな雰囲気と、腰を折り気味の姿勢で階下をゆっくりと見渡す様子に、きっと柔らかい表情は保たれているのだろうと想像がつく。
群衆が揃って、どっと歓声を挙げたのもその証拠だろう。
姫はそれに応えるように、流れるような所作で両掌を空に向けて高く上げ、そしてその手を胸の前で軽く合わせ…深く腰を折り礼を返す。
衣裳の上から更に薄衣を纏うかのように陽の光を受け、誰しもに眩く映るその姿はーーまるで此の場に天女が舞い降りたようで。
姫の姿を目に入れているもの全てが、神々しさすら感じ伝わる心持ちに目を細めた。
一連の仕草は、シキがかつて教養の時間に姫に教えたものだ。
ただ、それを此処まで美しく神々しいものに見せているのは、姫の持つ人柄と素質によるものだ。
ーーあの時は、上目遣いで不平すら零していたというのに。
そう胸のうちで独り言を呟くシキの表情も、清々しく柔らかい。


ーー暁の姫君ーー
踊り場で姫の傍に控える者達も皆、そんな言葉が階下から上がり来るどよめきの中に混ざり聞こえる気がした。

国中の者が憧れてやまない、そして皆がこの日を待ち侘びたーー姫巫女の祈りの儀式の式典が、人々の期待と喜びに沸く中で盛大に幕を上げる。
この場に居合わせた者が一人残らず笑顔になる、穏やかで暖かい空気に包まれながら。

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