表記について

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7

「やあ、お疲れさん」
宿の玄関口へ入ると、まずは主人のアッサラームさんがカウンター越しに出迎えてくれた。
手を挙げて笑みを浮かべているその姿は、以前此処を利用させて貰っていた時とやはり同じ。
どんなに疲れている時でも、いつでも自然体で話しかけてくれる主人には、アースミスさんと話す時と同じくほっとさせられる。
アースミスさんとはまた違ってはいるけれど、落ち着いた、それでいて気さくな雰囲気が滲み出ている。
「今日は‥‥ありがとうございました。あの‥」
「ーーお部屋空けてありますよ、セツナさん」
奥から聞こえて来た、軽やかな女性の声。
「久しぶり!お掃除も出来てますからどうぞ」
「‥‥エムさん。お久しぶりです」
にっこりと笑って主人の後ろに立つ、この宿の従業員のエムさん。
彼女にはこの宿に滞在している間、身の回りの事なども色々お世話になっていた。
初めて訪れた街で、一番身近にいてくれた女性かも知れない。
「ありがとうございます。‥えっと‥‥」
「前に使ってくれていた部屋よ。どうぞ?」
「——はい、でも‥‥」
その部屋は、確か‥‥。
「あ、それからタオル。お風呂も使って下さいね、疲れたでしょう」
「あ、はい‥‥、ありがとう‥」
ふんわりと乾かされたタオルを幾らかまとめて渡され、慌てて受け取る。
「もし何か、御用あったら呼んで下さいね」
こちらが何を言う間もなく。
ぺこりと頭を軽く下げ、エムさんはまた奥へと戻っていってしまった。
エムさんに訊けないので、アッサラームさんに
「ところで、あの‥」
と、訊こうとしたのだけれど。
「今日はあんた達の貸し切りだ、ゆっくりするといいさ」
そう言って、宿帳を持って机へと向かって行ってしまった‥‥。

とりあえず、部屋へ向かってみよう。
今日は二人で来る事を分かっていてくれたのなら、あるいは‥‥。
そう思って階段を昇り、久しぶりに使わせて貰う2階の部屋の扉を開けた。
「‥‥‥」
外の景色を臨める窓がひとつ、そして寝台と机が据えられた、簡素な部屋。
ーーやっぱり、何も変わっていない。
「——セツナ?」
「‥‥!」
扉を開けただけで立ち止まったままの私を、アツシさんが後ろから覗き込んできた。
肩口で聞こえる声にどきりとして、タオルを取り落としそうになり‥‥。
ぎゅっと抱き込むように持ち直し、一足先に小走りに部屋へと駆け込んだ。
その後ろで、扉を閉めた彼が部屋の窓際へと進み‥‥外を眺める。
「‥‥此処まで一緒に来たのは、初めてですね」
彼の目線の先は、きっと広場の噴水を臨む宿の玄関先‥‥いつも朝には迎えに来てくれていた場所。
「そう、ですね‥‥」
寝台の横の小さな机にタオルを置き、彼の隣に並んでみる。
まだその場所に目を向けている彼は、そこにーーかつての自分たちの映像を浮かべているのだろうか。
その横顔は、どこか少し寂しそうに微笑んでいるようにも見えた。
「‥‥本当は、もっと‥‥ゆっくり話もしたかった」
「‥え?」
「あなたと、わざと別れて休んでいたのが‥‥今思うと」
こちらを向き、苦笑してみせた彼の顔に‥‥またどきりとして。
思わず俯き、背を向けて。
少し離れた奥にある寝台に腰掛け、なるべくにっこりと笑って見せた。
「ーーじゃあ、今からでも」
一瞬、驚いたような顔をしていた彼だけれども。
「‥‥はい」
短い返事と共に、微笑み返してくれた。
今まで、擦れ違ったり‥‥遠慮して作れなかった時間。
それを、今からでも沢山、作っていけたら。
私達はもう、余程の事が無い限りーー離れることは無いのだから。

そして、彼が隣に腰掛ける、ぎしりと寝台が軋む音に、また少しびくりと肩が動いてしまう。
そう、この部屋には‥‥机も寝台も‥‥一つしかない。
だから、他の部屋が空いているなら、変えてもらおうかと…。
アッサラームさんやエムさんに確認しようとしたのだけれど。
ーーと、まるで責任転嫁のような思いを巡らせていると、その肩がふわりと暖かさに包まれた。
カサディスの自宅でもそれは同じだし、今更緊張する必要もないとは思うけれど。
それとはまたどこか、気持ちが違う。

それから近付いてきた彼の顔に、でもそちらを振り向かずにいると‥‥。
「‥‥セツナ」
髪を片側で分けているせいで、剥き出しの耳に彼の唇が直に触れそうになる。
「は、はい‥‥」
みるみる顔が熱くなり、小さく消えそうな声で返事をしてみたものの。
クスッと笑われて、そこからはもう何も言えそうにない。
折角だから、今日の事とか‥‥あと、此処に居た当時の事とか‥‥。
「——綺麗だ」
「‥‥?!」
思わず涙まで出て来そうな程、頬が上気してしまう。
「さっきは、皆の前では言えなかった‥‥駄目だな、私は」
苦笑するように小さく息を吐きながら、今度はその腕の中へと優しく抱き寄せられた。
「‥‥いえ、あの‥‥」
縮こまるように抱き締められながら、変に乾いてしまった喉で掠れてしまう声で言葉を紡ぎ出す。
「‥‥ありがとう‥‥」
そのまま何も言わない彼に、そっと目を向けてみると‥‥。
優しい笑みを浮かべながらも、熱の籠った眼差しを向けた顔がそこにあって、息を呑む。
「‥‥‥」
何も言えず、目も離せない。
そのまま、放心したように固まってしまっている私の顔に、彼の顔が近付いて‥‥。
ゆっくりと優しく、唇が重ねられた。
それは目を閉じる間もなく、軽く触れただけで離れて。
「‥‥すみません、先ずはゆっくり話をしようと思ったのに」
少し悪戯っぽく苦笑しながら、彼の手が私の頬に触れた。

彼の唇から、言葉はそれ以上続けられることなく。
もう一度、今度はもっと長く――深く重ねられていった。

そして背中に、優しく強く回されてゆく彼の腕の中の熱でーー私の固く緊張していた思考もゆっくりと溶かされていった。
目を閉じ、そっと彼の胸元に縋り付くように手を伸ばす。
その手を優しく握られ、かちりと互いの指にはめられた金属がーー指輪の音が微かに鳴った。
今日と同じ、ルゥさんやハゥルさんに見守られながら互いの指に通した指輪。
あの時と、ううん、きっとそれ以前からー―想いは変わっていない。
それを表すように、私達はいつしかしっかりと抱き合って口づけを交わしていた。

又訪れた領都で新たに迎える、彼との時間はーーまだきっと始まったばかりだ。

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