表記について

・R指定表現のあるページには、(※R) を付けています。苦手な方は読み飛ばし下さいませ。
・最新の更新ページには、★をつけておきます。そして、画像を新に貼ったページには、☆をつけておきます。

2

ゆっくりと開けた扉を抜けると、そこは長い廊下‥ではなかった。
数歩歩けば手すりに行き当たる、下り階段が伸びている踊り場だった。
階下へと折れ曲がる階段の先は‥‥。
ところどころ、小さな灯りは据えられているものの。
目を凝らして見下ろしてみても、やはり先が暗く見通しが悪い。
ただ、寒々と、そしてしんと静まり返っているところを見ると、魔物の姿はないように感じるけれど。
「どうぞ、足元にお気をつけて‥」
私とアツシさんの数歩先を往く、ルインさんが視線はきっちりとは合わさない程度に軽く振り返る。
昏くそこそこに広い空間の中、天井から帯状に水が滴っている箇所もある。
此処はしっかりとした石造の迷宮でも、それを突き破るように木の根が伸びたりしているところが見受けられる事から‥。
そういった箇所から、地下水が染み出してきたりしているのだろうか。
先の泉の水も、地下へと延びる木によって水が更に純粋に浄化されたものなのかもしれない。
そんな事を思いながら、階段を一歩ずつ踏み締め降りてゆく。
規則正しい足音だけが、空気を震わせ響く。

そうするうち、いよいよ階下の広間へと降り立った私達は。
その静けさの中に、ある音が混じり始めているのに誰からともなく気付く。
「‥‥これは‥‥」
「水音?」
イージスさんとルインさんが、いち早く声に出した。
よく見ると、広間の隅に壁が崩れたような出入り口が開いている。
その先から、どうやら細々と動きのある音が聞こえてきている。
皆で誘われるようにそちらへ近付き覗き込んでみると、穴を掘り進んだような通路が続いていてーー。
やはり、さらさらと水の流れる音がもう少し大きく聞こえて来た。
それぞれの意を訊ねるように、顔を一度見回し。
「‥‥進みましょう」
短い言葉と共に、頷き合った。

どちらにせよ、進むしかないという状況でもあるけれど。
此処では、常に慎重に往かなければどんな危機が待っているか分からなくもある。
先が見えない場所では特に、一つ一つ確認し合って進むくらいが丁度いいのかも知れない。
今迄のことから考えても、皆そう思うのはやはり自然な事だろうか。

むき出しの土が足元と周りを覆う通路を、今度はその狭さから一列になって進む。
距離はそんなに長くは無く、すぐに一つ大きな段差があった。
それを気を付けながら下りれば、直ぐにまた目線の先に石造りの通路が伸びているのが簡単に確認出来た。
「少し高いぞ」
「‥‥ええ、ありがとう」
イージスさんは身軽に、ルインさんは少し彼女の手を借りながら。
二人の動きを自然と目に入れているうち、ぐいと手を引かれた。
「‥気を付けて」
「‥あ、ありがとう‥」
そして私も、アツシさんの手を借りながら‥‥と云うより、半ば抱き留められるように膝程迄の高さの段差を降りた。
彼は短く微笑むと直ぐに前へ向き直り、そして。
「‥‥む‥?」
イージスさんが腰に携えた剣の柄に手を掛け、身構えるのに続いて。
ルインさんとアツシさんも、僅かに姿勢を低く落として先を覗き込む。
誰も言葉を発しない中、更に注意を向け耳を澄ましてみれば‥‥。
先に見えている通路の先から、水音に混じってもう一つ違う音が伝わって来ている。
ーー自然の音とは異質な、がらがらと、規則的に空気を震わせる音。
「この音は‥‥」
アツシさんも、背中の長剣の柄に手を掛けた。
そしてイージスさんと並ぶように、私とルインさんが後ろになるように先に立つ。
この音は私も、以前確かに聞き覚えがあった。
音を立てる主を確認すべく、皆固まって通路へと進み出て辺りを見回す。

出た先の足場は細く、目の前にはそこそこ広い幅の水路が流れている。
辺りは完全に真っ暗で、それぞれのランタンの灯りが無ければすぐ先ですら見渡せない。
しかも通路は数歩で途切れて、先へ進むには、水の中に足を入れ進むしかないようだ。
「暗いな‥‥用心を」
「どこから‥」
イージスさんとアツシさんが、声を掛け合うように呟き出しながら先を進む。
二人の、進む毎に揺れるマントの背を頼りに、私達もたまに背後にも気を向けながら付いてゆく。
水路が緩やかに先へ下り、そして更に枝分かれする通路の突き当り。
「———!」
小さな灯りが燈る、薄明るい角に。
やはり見覚えのある、ひとつの影。
二本の足で立つ、そして手に槍を携えた蜥蜴の魔物が控えて居た。
幸い、此方から見下ろす位置に居る為か、まだ少し距離があり此方には気付いていない。
「先手を打つか‥」
イージスさんがすらりと細身の剣を抜き、盾を持つ手を後ろ手へ引き身構えた時。
彼女とアツシさん、そして私とルインさんが居並ぶ間合いに。
「‥‥?!」
「——な‥?!」
どん、と鈍い音と共に、大きく水飛沫が跳ねた。
一瞬、顔から頭を庇った手を下ろしながら、目の前を恐る恐る確認する。
けれど‥‥何も見えない?
彼らとの間を分断されるように、大きな影が立ちはだかっているのを理解するには、そう時間は掛からなかった。
影の大きさ追って見上げてみれば、暗闇の中に‥‥やはり見覚えのある双眸が浮き上がり光っていたから。
「‥‥!」
そのものの大きさに息を呑み、驚きに動けなくなる。
ぐるぐると喉が鳴る音、体の大きさに比例した大きなーー槍。
蜥蜴の魔物ーーリザードマンの、かなり大きなものが此方をじっと見下ろしている。
ルインさんと共に後ずさり、とにかく魔法を使えるようにと間合いを取ろうとするも‥‥。
素早く振り下ろされる槍の切っ先が、ぐいと目の前に迫る。
「危ない‥‥!」
ルインさんが杖を手に、せめてそれでと判断したのか私の前に飛び出そうとした。
「駄目、ルインさん‥!」
咄嗟に声を挙げたものの、直ぐに動けない‥!
僅かな間に迫った大きな危機に、もどかしく歯噛みしながら。
目線も、もどかしく思う気持ちも、共に釘付けになる。

凄惨な事態を一瞬想像して、それでも懸命に打ち消す。
思うだけで実りの無い時間が長く感じた、そんな間にも。
「ーーさせるか!」
鋭い掛け声が聞こえると共に、リザードマンの上体がびくりと仰け反った。
銀色の鋭い煌めきが、魔物の体に取り付いている。
イージスさんがしがみ付いて、隙を生んでくれたのだ。
「‥くっ‥!」
けれどそれでも、堅い鱗を持つ蜥蜴の体には、ましてや大きさを増したそれには、思うように刃が通らないようだった。
食い縛り何度も素早く切り刻むも、リザードマンはまた体勢を整え此方を睨むように伺う。
私達もその間にと、魔法の詠唱を始めるものの‥‥。
魔物の立ち直りの速さから、間に合うかどうか分からない。
「——アツシ殿!」
額に汗が浮かんで来た時、イージスさんの声が飛んだ。
「任せてください‥!」
アツシさんの鋭い声が、背後から聞こえて来る。
‥‥そして‥‥。
ばしゃ、と剣を水面を擦りながら大きく薙ぐ音に次いで、ぶつっと何かが勢いよく切れる音がした。
リザードマンの体が、水面へと派手に叩き付けられるように倒れた。
見れば、尻尾が切れている。
這い蹲るようにもがく魔物に、それでもしかとしがみ付いたままのイージスさんが、更に追い打ちをかけるように剣を振るい続ける。
その後、アツシさんがもう一度振り上げた剣が、今度は勢いよく上段から振り下ろされて。
ぐう、と息を吐くような声を漏らしながら、リザードマンはようやく絶えた。

暗い水路の天井に、音も無く張り付いていたのだろうか。
そう云えば以前、任務で探索に入った滝の裏の遺跡でも‥‥同じような事があった。
蜥蜴の体の性質を生かして、この魔物は壁でも天井でも、何処にでも張り付けるのだ。
私はおろか、先を往っていたイージスさんやアツシさんも、きっと忘れたり知らなかったりした訳では無いのだと思う。
けれど‥この一寸先すら見え難い程の暗い状況では、事前に気付くのはどうしても難しいだろう‥‥。
それが証拠に、彼らは未だ剣を納めず、強く握り締めたまま進行方向を振り返る。
直ぐそこに、先に見つけていたリザードマンが迫って来ていた。
けれど今度は、見慣れた大きさのそれに決して苦戦は強いられない。
剣戟の音がまた少しの間響いて、そして静けさを取り戻した。
「——危ないところでした‥」
剣を背に納めながら、アツシさんが息を吐きつつ呟く。
皆それぞれに、同様に剣や杖を納めながら黙って頷いた。

スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。