表記について

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3

ベニータさんは、薬を調合したりもできるけれど、そもそも自宅で鮮魚店も営んでいる。
今日も、朝一番の準備の途中だと、軽く挨拶を残して去っていった。

「‥‥‥。」
去り際に重ねられたそれぞれの手が、腕を下ろした先で未だ触れ合ったまま。
鋭い観察眼に、改めて驚かされながら、そして‥‥。
やはり少し、照れてしまいながら。
「‥‥あ、あの。向こうへ‥‥」
アツシさんがそっと握ろうとしてきたその右手を、何となく慌てて路地の先へと指さした。
「‥‥‥?」
「‥‥向こうへ、歩いて行ってみませんか?」
そうしてしまってから、やっぱりどこか気になって、ちらと目を合わせてみる。
「ーーはい」
一瞬驚いたような、不意の表情を見せたものの、彼はくすっと笑って頷いてくれた。

ーー変に、思われたかな?
私は一体、どうしてしまったんだろう。
村に帰って来てから、何故か‥‥二人で居る時間がこそばゆいような、恥ずかしいような気持ちになってしまっている。
先の島では他にも、イージスさんとルインさんのお二人も居てくれたから‥‥?
「‥‥あ」
村の通りに出る手前の角のあたりで、ふと足が止まる。
右手の方は、家や店の並ぶ通り。
左に行けば、海と砂浜が広がっている。
「やっぱりこっちへ、行きませんか?」
さっと浜の方を指差して、そのままそちらへ歩きながら伺ってみる。
はい、と短くだけ答えて、彼もついてきてくれる。
なるべく人通りを歩かずに、少し聞きたいことが浮かんで来たから。
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浜辺のほうも、全く無人ではない。
朝の漁やその後の魚の手入れで村人の姿はあるものの、やはりその広々とした中での静けさにも包まれている。
たまに、おはよう、という挨拶や、手を振ってくれる人もいる。
それらの歓待に私達も会釈や挨拶で応えながら、陽を受け輝く白い砂浜の上を並んで歩く。
互いにさくさくと規則正しく砂を踏み締める音を聞きながら、海風を直に浴びる。
やはり、帰って来たんだという実感を改めて身に沁み込ませながら。
「‥‥あの先へ」
「はい」
砂浜をずっと歩いた先、岩壁がトンネルのようになっている場所をくぐって進む。
すると、波もあまり押し寄せない、本当に静かな浅瀬へと辿り着く。
他所に比べてかなり静かなこの村の浜の中でも、特に静かな場所。
”星降り浜”と呼ばれる此処は、自然の地形から入り組んだ浜になっていて海も穏やかだ。
なので、夜になれば、星が足元まで降り注いでいるかのように静かな闇に包まれる。
それまでは、たまに海鳥が安堵して羽を休めに来たりもしているけれど‥。
此処なら、色々話せるし、そもそも私も大好きな場所だ。
彼を是非案内したくなったというのもあって、自然と此処へ来たいと思っていた。
もちろん、二人きりにはなってしまうのだけれど‥‥。
「ーーあの、アツシさん?お聞きしたい事が‥‥」
今回も少し、早口になっていたかも知れない。
彼の方へと向かい合いながら、それはそれとなるべく気持ちを切り替えて訊ねてみる。
「‥‥はい、何でしょう」
彼も、小首を傾げながらも、落ち着いて応えてくれた。
「私は、どうして此処に‥‥?それから、イージスさん達と、あとあの魔物は‥‥」
特に、急いでいる訳でもないのに。
口を開いてみれば、訊きたい事が一度に押し寄せてきて纏まらない。
「その事ですか」
私の矢継ぎ早な質問に、彼はほんのり微笑って切り出した。
そうされると、やはり、”しまった”という気持ちにもなってしまうのだけれど。
ここは、気になる事をちゃんと聞くことが大事だ。
彼に目を合わせたまま頷いて、答えを待つ。

「あの後ーー魔物を倒した、その後です」
「ーーはい」
彼の言葉と、穏やかなままの表情から、やはり魔物は倒せたのだと確信が持ててほっとする。
私自身は、魔法を使った直後の事しか見えていなかったし、全く覚えもない。
「倒れてしまったあなたを‥‥魔物を倒して開いた扉の先へと、運びました。するとその先が、あの島の入り江に繋がっていたのです」
「‥‥え‥‥」
ーーあの扉の先は、出口だったんだ‥‥。
そこまで、アツシさんが私を‥‥そして。
「そこで休ませて貰えればとも思いましたが‥‥。あのお二人の勧めもありまして、一度此方へ帰らせて貰いました。あの入り江の女性からも、舟を出して下さると仰って貰えましたので」
「‥‥。そう、ですか‥‥」
「ーーはい」
じゃあ、あの微かに聞こえていたように思う話し声と、波に揺られるような感覚は‥‥その時のものだったんだ。
と、いう事は‥‥。
「‥‥色々、すみません。ーーイージスさんとルインさんのお二人にも‥‥」
ただ、皆に世話をかけっぱなしになってしまった。
同行してくれていたお二人には、今回は、挨拶も出来ずに別れたという事になる。
何とか、目を開けて、きちんとお礼と挨拶が出来ていれば‥‥と。
ーー今更、悔やんでも遅いのだけれど。
「‥‥いえ、気にしないで下さい。彼女達もーーまた後日と仰っていましたので」
少し俯いてしまったところへ、彼のその言葉。
「‥‥え‥‥?」
顔を上げてみれば、その先の彼は柔らかく微笑んでいた。
「ーー日にちの指定も、受けていますよ。後日‥‥”一週間後、領都でお会いしましょう”と」
「‥‥は‥」
良かった。
ーーまた、あのお二人に‥‥もう一度ちゃんと会える。
「はい‥‥!」
自然と顔が綻んだ。
次に会ったら、きちんとお礼を言おう。
そして純粋に、共に無事に還れた事を喜び合いたい。
それから、ゆっくりと‥‥。
「‥‥あの、アツシさん‥‥」
「はい?」
「‥‥あの、‥‥本当に‥‥ありがとう‥‥」
軽く頭を下げながら、彼にもお礼を言った。
いつもながら、ではあるけれど。
沢山世話をかけてしまって、そしてそもそも、頼りになる仲間と共に彼が守ってくれるからーーきっとこうして無事居られる。
「‥‥いえ」
彼の手が、ぽんと触れるように肩にかかって。
気付いて反射的に顔を上げれば、覗き込んで微笑むような表情に出会う。
「あなたが無事で居る事が、私にとっては‥‥」
顔が近づく気配に、どきりとして思わず肩を竦めてぎゅっと目を瞑った。
‥‥‥、と。
額のあたりに、ほんのり暖かい感触。
ゆっくりと目を開けると、彼の、今度は苦笑するようなーーそれでいて柔らかな表情が目に入ってきた。
やっぱり、私のとってしまう態度は‥‥少しおかしいかな?
「‥‥あ、えっと‥‥、あの‥‥」
何か切り出さなければ、と、意識に働きかけてしまう。
と、そこへまるで、間を計ったかのように。

ーーリン、ゴン‥‥。
後方から、鐘の音が聞こえて来た。
「この音は‥‥」
アツシさんが、音の流れて来る方を見上げる。
その先にあるのは、確か‥‥。
「教会の、鐘‥‥ですね」
きっと、わざわざ言わなくても。
彼からも、それは見えているんではないかと思う。
けれど、今回もまた、それで少しほっとしてしまう自分が‥‥ほとほとよく分からなくなる。
「向こうにも‥‥行ってみましょうか?」
「はい」
小さく頷いて応えてくれた彼に慌てて背を向けながら、また砂浜を村の集落の方へと戻る。
たまに、ちらと斜め後ろに視線を流すと、一瞬でも目が合った時にはかれはやはり軽く微笑んではくれる。
ーー彼と、手を繋いだりすることは‥‥決して嫌な訳では無い。
けれど、何故か‥‥今はそれが出来なくて。
浜のさらさらした砂を踏む音が、自分のものと、それを追って来る彼のものをただ聞きながら歩いた。
自分の中ですっきりしない想いを、その音で埋めるように。
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